気仙沼通信(残りわずか)
まもなく(あと10日ほど)で、気仙沼を去る、椎原医師からのメッセージです
連日、ご苦労様です
以下*************************
ご無沙汰してます。
今回も日経メディカルに寄稿した記事から。
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4月12日
震災後一ヶ月が過ぎ、気仙沼では復興へ一歩一歩前進しています。ガソリンも十分に供給されるようになり、人やモノの往来は日に日に多くなっていま
す。被害の大きかった鹿折・唐桑地区の避難所も、ここに来てようやく状況の改善の兆しが見えてきました。町では美容院も先日より始まっているようです。
消化器内科も一般診察を始めて、病院の機能はほぼ元通りになりました。しかし相変わらず日々たくさんの救急患者が救急車に乗って病院を訪れます。
少し変わった肺炎などはないのですか、とたまに質問を受けるのですが、現在のところ明らかに粉塵やガスが関与したと思われる変わったタイプの肺炎は、見ら
れていません。ただし、気管支喘息患者のコントロールが悪化している印象があります。薬をなかなか取りに来られないために吸入薬を自己調節して節約してい
た患者もいましたし、春先という季節も関係しているかもしれません。しかし町を歩くと乾燥したヘドロやガレキから砂煙がもうもうと舞い上がっているのが確
認できます。粉塵の粒子としてはかなり大きいはずなので、末梢の肺胞領域までは到達せず肺炎とはならないのだと思われますが、気道過敏性の亢進している気
管支喘息患者にとっては増悪因子となりうるのかもしれません。
しかし家を流されて帰る場所を失ったり、愛する人を失ったりした悲しさや、余震・津波の恐怖はなかなか消えません(正直なところ筆者も例外ではあ
りません)。帰るところがなくなっちゃった、と涙を流している看護師もいました。震災後一ヶ月。避難所にいる被災者の方たちももちろんですが、大切なもの
をたくさん奪われた状態で、ゴールの見えない災害医療が続く状態に従事し続ける医療スタッフも、蓄積した疲労を自覚し始める頃になりました。もともとギリ
ギリの状態、ないしは崩壊しかかっていた地域医療が、訪問診療や介護、老人保健施設など、システマチックに再生されるのは年単位、もしかしたら数年の時間
が必要となるのかもしれません。
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気仙沼を離れるまで、なんとあと10日となってしまいました。
そりゃあ逃げ出したい気持ちもありますが、
でもやっぱり、ここで医療を続けたい気持ちの方が今は強いです。
自分にもいっぱいよくしてくれた、愛する気仙沼の人たちを守るために、ここで医者をしていたいという気持ちがいっぱい。
こんな気持ちでちゃんと研究に打ち込めるのかな。
でも市立病院の医者としては働けなくなるけど、折に触れてまた気仙沼に戻ってきて
違った形でも、どんな形でもこの地方に貢献できたらいいな、って思います。
被災地に長期的に必要になってくるのは、モノもそうですが、
間違いなくカネになります。
ジュース一本我慢して、100円でも寄付していただければ
三陸の美味しい魚が少し早くまた食べられるようになると思います。
さらに不況になることは間違いない日本だけれども
みなさんも、引き続き、義援金を含む継続した支援をお願いします。
ちなみに、全部流れてしまった自分の送別会も、ささやかながら、いくつか、開いていただけるそうな。
泣かないようにしないと。ほんとに。
もうすぐ31歳なんだから。
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